« 予測とテロと大地震 | トップページ | 会社法改正(三角合併)と郵政民営化について(増田氏のホームページから) »

脳死は、死ではなく、まだその人は生きている。

2005年4月12日(火) 午後7時29分臓器移植法案(家族容認によって死んでもいないのに売却されてしまう人たちが増える・脳死は人の死ではないため臓器を摘出するときに脳死の人は生きながら臓器をえぐられる激痛を感じている兆候があると報告書が出ている。たしか手が痙攣してうごくという。) あなたが、仮に泥酔してしまい、まったく意思を外部に疎通できない状態になったとする。外部から見ると「生きているように見えるけど、まったく意思疎通できない状況」である。 脳死とはそういった状態に似ている。つまり脳死なので外部とは、意思疎通できないが体内では生きている。だからその生きている人物に対していきなり心臓を切り裂いて、それをえぐりとるという、ホラー映画よりひどいことを脳死患者はされるのだ。当然、恐ろしいほどの激痛を感じる。 ところが脳死をしているため外部にこの激痛をやめてくれと伝えることができない。唯一伝えられるのは、手の動きぐらいだろうか。「死んでいるはずなのに」なぜか「悲しそうに涙を流す」人もいるという。 これは、実際に脳死移植をしている現場では、その人が、本当は生きていて激痛を感じている思いが伝わってくるという医者の体験談が多数ある。かわいそうである。 だから以前取りやめになったのだが、金儲けしか考えていない人物が強引に導入してしまった。どこか生きている企業を強制的に「不良債権だ」として延命装置(銀行融資)を取り外してしまい、外資の『死体を食らうファンド』にくれてやる現政権のやり方に似ている。 (矛盾にみちた脳死移植) http://www.mikkyo21f.gr.jp/info_appeal-7.html (脳死者が生んだ子供という矛盾)http://www.inetmie.or.jp/~kasamie/nousiSYUSSAN.html 生きている人間を実は殺しているだけだという証拠になるだろう(ある医師の脳死についての研究) http://home.owari.ne.jp/~gotoment/ugoki4.html 以下は、ある医者のホームページから脳死移植反対の根拠をとったものである。 http://home.owari.ne.jp/~gotoment/ugoki4.html (A)臓器移植が正しい医療ではない理由1: 医療は与えられた患者一人で完結すべきであるのに、移植は第三者を巻き込む。 その巻き込み方は様々であるが、本来「脳死」臓器移植は殺人、心臓停止後の角膜・腎臓移植は死体損壊、生体肝移植などは傷害の罪に当たるはずである。 2: 臓器移植は本質的に人肉食(カンニバリズム)に通ずる残酷な行為であり、人肉食が許されないのであれば、臓器移植も許されるべきではない。 3: 移植は自分が生きる為に他人の死を期待する医療で、未来永劫にわたって人間精神の荒廃を招く。臓器提供者の善意はなるほど貴重なものであろうが、その善意は残念ながら善意で終わらず、人の欲望を増幅させる効果を持つ。 4: 移植は人を単なる部品の集まりと見る人間機械論で、これは人の命の唯一性を否定するものであるが、移植後免疫抑制剤の投与を要することや、心肺同時移植を受けた患者が臓器提供者の性格や食べ物の好みをすっかり受け継いだ実例などは、臓器が交換可能な万人共通の機械部品とは異なることを示し、その論理の破綻は明らかである。 5: 移植推進派は移植を受ける側(レシピエント)の命のかけがえがないことを強調する一方で、臓器提供者(ドナー)の命のかけがえのなさは無視して人の命に軽重をつけ、更に部品交換を強行することで命のかけがえを狙うという二重の誤りを犯している。 6: 人は他の人格を必ず目的として扱うべきでこれを手段としてのみ扱ってはならぬというカントの定言律は、時代と国境を越えて通用する普遍的道徳律であり、これこそが人を他の動物から区別する条件だとされる。臓器移植はまさに他の人格を手段としてのみ扱うものであり、移植推進派は人であることを放棄するつもりなのか? (B)脳死状態を人の死と認めるべきではない理由1: 身体が温かく、皮膚の色もよい脳死状態の人を死体と思えないのは人情の自然であり、また脳死状態からの妊婦の出産も何例も報告されている。 2: 心臓が止まって身体が冷たくなって行くことで泣く泣く愛する者の死を受容するという誰に も納得できる死の基準を用いるのは、人類何万年の経験智であり、文化である。 3: 脳死を個体の死と見て全ての臓器・組織をばらばらに摘出してよいなら、将来的には首のすげ替えまで行き着くのを禁止する論理はないが、それを認めるのか? もしこうした文化論を移植推進派がなお単なる感情論だと強弁し、もっと理性的に議論せよと主張するのならば、彼等は以下の科学的事実に反論する義務がある。即ち、4: 脳死状態で体温が正常に保たれるのは、脳の体温調節中枢の機能健存を示すものであり、また脳の視床下部からの或る種のホルモン産生も認められている。 現在脳死状態での世界最長生存記録は、5歳の時に脳死に陥ってから16年以上生存している小児で、その間身体的にはほぼ正常の発育を示している。 5: 脳幹死をもって人の死とする英国で、ドナーの皮膚切開による血圧上昇(即ち脳幹機能の存在)、心拍促進や体動が多数例で見られ、1985年に報告されている。 現在欧米では脳死ドナーの臓器摘出手術時に麻酔をかけており、旧厚生省の臓器摘出マニュアルにも麻酔器の設備が示されているのは、脳死患者が痛みを感ずる(即ち生きている)ことを移植医が知っているからに他ならない。 6: 1998年にサンパウロ国立大学脳外科教授から筆者宛に届いた外傷性脳虚血の動物実験成績では、脳血流がある程度減少すると、シナプスの機能が抑制される為脳波は平坦になって脳死判定基準を満たすが、脳細胞は生きており、脳を冷やすと脳血流が増して脳機能は回復するという。 これはまさに日大で始められた脳低温療法の画期的成果を実験的に裏付けるものである。 一方この時人工呼吸器を止める無呼吸テストをすると、脳血流が臨界値以下に低下して脳細胞は死んでしまうので、同教授は無呼吸テストは脳死の診断法ではなく作成法だと結論しており、脳死判定基準から無呼吸テストは削除すべきであろう。 なおこの成績からは、真に不可逆的な脳機能の廃絶は脳低温療法を行って見なければ診断出来ないことが結論され、貴院における法的脳死判定で「脳機能の回復不能が分かった」と主張される先生の論理には根拠がないと言わざるを得ない。 7: 脳死問題に関しては、国際的に著名な3人の学者の編集で、11名の著者の論文を集めた単行本Beyond Brain Death:The Case Against Brain Based Criteria for Human Death,Dordrecht,Kluwer Academic Publishers,2000が出版され、哲学的、文化的、医学的、すべての面から、脳死状態は人の死ではないことを徹底的に論考しており、筆者も1章を執筆している。

|

« 予測とテロと大地震 | トップページ | 会社法改正(三角合併)と郵政民営化について(増田氏のホームページから) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 脳死は、死ではなく、まだその人は生きている。:

« 予測とテロと大地震 | トップページ | 会社法改正(三角合併)と郵政民営化について(増田氏のホームページから) »